イスラームは言葉や行動、信仰などからなる様々な種類の崇拝行為を義務付けています。そしてその内の、言葉と行動に関するものが一般に「イスラームの基幹」と呼ばれるものです。これらの要素いかんで、その者がムスリムかそうでないかが決定されるといってよいでしょう。
イスラームはその信徒が、単にそれらの崇拝行為を遂行することを勧めているわけではありません。それらの行為は人の魂を清め、正しい状態に保つものなのです。崇拝行為を行うことの裏に秘められた目的は、自らを矯正し、真っ直ぐな正しい道を固守することです。アッラー(I)は、サラー(礼拝)に関してこう仰っています:
-実にサラー(礼拝)は醜行(非合法な性交渉など、あらゆる種類の大罪)と悪事(不信仰やシルクなど、あらゆる悪行)を妨げる。,(クルアーン29:45)
またザカー(義務の浄財)については、こう仰っています:
-彼らの財産から施しのためのものを取り、それでもって彼らを(罪から)清め、浄化してやるのだ。,(クルアーン9:103)
またサウム(斎戒、いわゆる断食)については、こう仰られます:
-信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたように、あなた方にもサウム(斎戒、いわゆる断食)が課せられた。(それによって)あなた方は敬虔さを獲得するであろう。,(クルアーン2:183)
そしてハッジ(大巡礼)については、こう仰ります:
-ハッジ(の季節)は周知の数ヶ月である。それでその間にハッジをしようとする者は、淫らな言動や罪深い行いや言い争いをしてはならない。,(クルアーン2:197)
崇拝行為はイスラームにおいて、ムスリム社会における結束と団結を維持するだけでなく、個人の人格とその向上における中心的な役割を担っているのです。