عربي English עברית Deutsch Italiano 中文 Español Français Русский Indonesia Português Nederlands हिन्दी 日本の
Knowing Allah
  
  

セクション 記事
追加の日付 2015-06-28 15:55:58
再生回数 732
友人に送る 印刷 記事のワードファイルをダウンロード シェア Bookmark and Share

   

神がクルアーンの節において仰せられている以下の節は、預言者(神の慈悲と祝福あれ)がその説教において何度も繰り返しているものです:

“人々 よ、汝らの主を畏れよ。かれは一つの魂から汝らを創り、またその魂から配偶者を創り、両人から、無数の男と女を増やし広められた方であられる。汝らはアッ ラーを畏れるのだ。かれの御名においてお互いに頼みごとをする御方であられる。また近親の絆を(尊重せよ)。本当にアッラーは汝らを絶えず見守られる。” (クルアーン 4:1

家族とは、社会全体における核です。家族の基盤が正しいのであれば、社会全体も正しい状態になることが望まれるでしょう。それ故、人類一般にとっての模範である神の使徒は、結婚・家族制度を支持したのです。神は仰せられています:

“われらは汝ら以前にも使徒たちを遣わし、妻と子孫を彼らに授けた。”(クルアーン 13:38

また預言者ムハンマドは、婚姻を彼の「道」として、次のように述べています:

“神に誓って、私はあなた方の内、最も神を畏れており、畏敬の念を持っている。しかし私は断食をすればそれを解くし、(夜に)礼拝しては眠りにつくし、女性とも結婚をする。誰であれ、私のスンナ1  から背き去る者は、私の仲間ではない。”(サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)

イ スラームが家族関係の絆の深さを強調することに、疑いの余地はありません。イスラーム法学者たちは、人がイスラーム法、そしてその背後に潜む英知を学ぶの なら、その者はそれらが人生におけるある種のニーズを確立、保護、強化、そして永続させるのであるということを見出すはずである、と述べています。イス ラーム法によって描かれる人生における必要性とは、以下の要素です:

1. 宗教

2. 生命

3. 家族の絆・関係

4. 理性

5. 富と繁栄

そ れ故、私たちは例えば家族の尊厳を維持するための厳重な法に関して熟考することによって、イスラームが家族に大きな重要性を置いていることを理解すること が出来ます。いわゆる“西洋的近代社会”では、例えば姦通などの家族の根幹を脅かす行為が犯罪行為とは見なされていません。2  しかしイスラームではそれとは全く異なる状況となっています。イスラームでは家族の全構成員に対してお互いに良く接するよう奨励し、彼ら自身と婚姻制度にとって害悪以外のなんでもない無分別な行為を戒めるよう教えます。神はこのように仰せられました:

“私通(の危険)に近付いてはならない。それは醜行である。憎むべき道である。”(クルアーン 17:32

しかしながら、これらの奨励は単なるうわべだけの言葉ではありません。それらは看過することの出来ない、言語道断な行為の一部に対する法の施行も意味します。それ故、神はこう命じられています:

“姦通した女と男は、それぞれ100回鞭打て。もし汝らが、アッラーと最後の日を信じるならば。アッラーの定めに基づき、両人に対し情に負けてはならない。そして一団の信者に、彼らの処刑に立会わせるのだ。”(クルアーン 24:2

行 なわれるべき事を、容赦によって覆すことは認められません。なぜなら容赦とは他者に対し善行をすることを駆り立てるものですが、そういった容赦は悪い結果 をもたらすものであるからです。更に、アル=ブハーリーとムスリムによって記録された預言者の言い伝えによると、彼は姦通者に対する石打ちの刑を命令して います。事実、イスラームは家族の尊厳を守るためにはそれ以上のことも辞しません。すなわち、貞節な女性にそういった悪行の容疑をかけて嘘の告発する者 は、厳しい懲罰を受けるということです。神はこう仰せられています:

“貞節な女を非難して4名の証人を上げられない者には、80回の鞭打ちを加えよ。決してこのような者の証言を受け入れてはならない。彼らは主の掟に背く者たちである。”(クルアーン 24:4

神は特に家族全員への振る舞いに関して、人類に導きをお与えになります。この文章を簡潔にするため、家族の一員としてのムスリムによる、両親、子供、配偶者、親戚など、家族への適切な態度に関して簡略に述べていきましょう。

両親

神 はムスリムたちに、自分の両親に対して最善の形で付き合うよう要求されました。ムスリムは感謝深くなければなりません。ムスリムは神に対し、そして自分た ちに良い待遇をしてくれる全ての人々に感謝しなければならないのです。神の次に感謝に値するのは、私たちの両親に他ならないでしょう。それ故クルアーンに おける多くの節には、両親に対する扱いの問題が触れられているのです。実に多くの箇所で、神は両親への善行を神のみへの崇拝に関連付けられています。例え ば、次のクルアーンの節ではこう述べられています:

“アッ ラーに仕えよ。何ものをもかれに併置してはならない。父母に懇切を尽くし、また近親や孤児、貧者や血縁のある隣人、血縁のない隣人、道づれの仲間や旅行 者、および汝らの右手が所有する者(に親切であれ)。アッラーは高慢な者、うぬぼれる者を御好みになられない。”(クルアーン 4:36

また、神はこのようにも仰せられています:

“言え。「さて、私は主があなた方に対し禁じられたことを、朗誦しよう。かれに何ものでも同位者を配してはならない。両親に孝行であれ。”(クルアーン 6:151

“汝 の主は命じられる。かれの他何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行せよ。もし両親かまたそのどちらかが、汝と一緒にいて老齢に達しても、彼らに荒い 言葉を使わず、親切な言葉で話すのだ。そして敬愛の情を込め、両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て、「主よ、幼少の頃、私を愛育してくれたよう に、2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(祈りを)言うがいい。主は汝らの心の中に抱くことを熟知なされる。もし汝らが正しい行いをするならば、かれは悔悟して度々(主に)返る者に対し、本当に寛容である。”(クルアーン 17:2325)

“われらがイスラエルの子孫と、約束を結んだ時のことを思い起せ。(その時われは言った。)「あなた方はアッラーの他に、何ものも崇めてはならない。父母に孝養をつくし・・・”(クルアーン 2:83

預言者も同様に、両親に対する良い待遇を強調しており、それを定時に行なう礼拝の次に神に愛される行為であると述べられています。預言者はある者に次のような質問をされました:

“神に最も寵愛される行為とは何ですか?”彼は答えました:“定時に行なう礼拝である。”彼は質問されました:“その次はどの行為ですか?”彼は答えました:“自分の両親へ孝行を尽くすことである・・・”(サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)

神は両親、特に母親は子供を育てるために多大なる労力を費やしたことを信仰者に思い起こさせます。そのために両親は愛情、尊敬、感謝の念を受けるに値するのです。神は仰せられています:

“さ てルクマーンが、自分の息子を戒めてこう言った時を思い起こすのだ。「息子よ、アッラーに(他の神を)同等に配してはならない。それを配するのは、大変な 不義である。」われらは、両親への態度を人間に指示した。人間の母親は、苦労に窶れてその(子)を胎内で養い、更に離乳まで2年かかる。われとあなたの父母に感謝しなさい。われに(最後の)帰り所はあるのである。”(クルアーン 31:1314)

“われらは、両親に対し優しくするよう人間に命じた。母は懐胎に苦しみ、その分娩に苦しむ。懐胎してから離乳させるまで30ヶ月かかる。それから彼が十分な力を備える年配に達し、それから40歳 にもなると、「主よ、私と両親に対して、あなたが御恵み下された恩恵に感謝させて下さい。またあなたの御喜びにあずかるよう、私が、善行に勤しむようにし て下さい。また子孫も、幸福にして下さい。私は悔悟してあなたの御許に帰ります。本当に私は、服従、帰依する者です。」と言うようになる。”(クルアーン 46:15

こうした理由により、特に母親は最大の友情と親密さを彼女の子供たちから受けるに値しているのです。預言者はこのような質問をされました:

“人々 の内、私が最もよく付き合うべき者は誰でしょうか?”預言者は答えました:“あなたの母親です。”男が尋ねました:“その次は誰ですか?”預言者は再び答 えました:“あなたの母親です。”その男は再び尋ねました:“では、その次は誰ですか?”預言者は更に言いました:“あなたの母親です。”男はもう一度尋 ねました:“それではその次は誰ですか?”ここで預言者は答えました:“あなたの父親です。”(サヒーフ・ムスリム)



Footnotes:

1 スンナ:教え、または道(IslamReligion)

2 1969年、英国人裁判官は、自分の友人と関係を持った妻を告訴した原告に対し、彼の考え方は時代遅れであり、1969年に生きていることを認識するよう述べました。この話は、[ユースフ・アル=アーリム, Al-Maqaasid al-Aaammah li-l-Shareeah al-Islaamiyyah (リヤド: International Islamic Publishing House, 1994年], 397頁。]において引用されています。今日では自分の子供を認知しない夫などのように、数えきれない程の夫婦間の確執によって憎悪、軋轢、婚姻関係の破局などがもたらされています。これが“近代的・文明化”された婚姻関係、または家族のあり方と言えるでしょうか?




                      Previous article                       Next article




Bookmark and Share


أضف تعليق