5-シャイターン(悪魔)から身を守るための
ドゥアー(祈願)とズィクル(唱念)
● 病:その種類と治療法:
病には心の病と体の病の2種類があり、心の病は更に2種類に分類されます。
1-信仰上の病:偉大かつ荘厳なるアッラーは偽信者に関して、こう仰られています:-彼らの心の中には病がある。そしてアッラーはその病を増幅なされた。彼らには彼らが(真理を)嘘としていたことゆえの、痛ましい懲罰があろう。,(クルアーン2:10)
2-欲望の病:偉大かつ荘厳なるアッラーは信仰者の母たち(預言者の妻たち)に関して、こう仰られています:-そして(誤解や疑念、誘惑などの原因となるような)曖昧でなよなよとした物言いをしてはならない。そうすれば心に病のある者が、揺らいでしまうかもしれない。,(クルアーン33:32)
一方体の病とは、体がかかる病気や疾患のことを指します。
そして心の病気の治療法は、使徒たち(彼らにアッラーからの祝福と平安あれ)を介してでしか、知り得ることが出来ません。というのも全ての心を支配される主とそれを創造されたお方、及びその美名と属性と行為と法を知り、またかれのお悦びになられ愛でられることを行い、かれの禁止され厭われることを避けることなしには、心の健常は実現され得ないからです。
また体の病にも2種類あります:1つは飢えや渇きや疲労など医学療法を必要としない類のもので、それは理性があるないに関わらず、アッラーが全ての生物に対してお創りになられたものです。
そしてもう1つは通常の医薬、あるいは神的な治療法、もしくはその両方を用いて治療を施すところの、ある種の熟慮や調査を必要とするものです。
● 心の病:
心の病とは、心が健常で正しい状態ではなくなることです。つまり心の健常とは真理を知り、それを愛することであり、またそれを何につけても優先することです。一方心の病気とは真理に対する疑念であったり、またそれ以外の何かを真理に優先させたりすることです。そして偽信者の病気というのは疑念と信仰上のそれであり、罪深い者たちの病は欲望におけるそれなのです。また他にも虚栄心や奢り、自惚れ、嫉妬心、傲慢さ、権威欲、地上における名誉欲などの心の病がありますが、これらは全て信仰上の病と欲望による病の複合物です。健常さと、あらゆる害悪や試練からの無事を祈りましょう。
● 人間とジンからなるシャイターンの悪の放逐:
1-アッラーは人間の敵に対しては優しさと穏やかさ、そして善行をもって対処することを命じられています。それは彼が元来のよい性質へと戻り、親愛と高徳へと導かれるようにするためなのです。崇高なるアッラーはこう仰られました:-そして善行と悪行は同じではない。(悪行をもって対されても、それに)よい行いでもって応じてやるのだ。そうすればあなたに敵対していた者も、親愛で近しい者となるであろう。しかしこの行いは、忍耐強い者、そして大いなる報奨を約束された者にしか到達することは出来ないのだ。,(クルアーン41:34-35)
2-また偉大かつ荘厳なるアッラーは、シャイターンという敵に対してはアッラーのご加護を乞うように命じられています。彼らに関してはいかなる甘言や善行を施すことも許されません。というのも彼らの本質はアーダムの子ら(人類)を迷妄へと導くことと、彼らに対する憎悪であるからです。崇高なるアッラーはこう仰られています:-そしてもしシャイターンからの悪の囁きによってそそのかされた時には、アッラーにご加護を乞うのだ。実にかれこそは全てをお聞きになり、ご存知になられるお方である。,(クルアーン41:36)
● 天使とシャイターンはまるで昼夜の交代のように、アーダムの子らの心を目まぐるしく交代して訪れます。それゆえある者の夜はその昼より長く、またある者の昼はその夜より長いのです。そして中にはずっと夜の中に居続ける者もいれば、ずっと昼の中に居続ける者もいます。天使はアーダムの子らの心を善行や真理などによって鼓舞しますが、一方シャイターンは彼らを悪や不信仰へと誘惑します。そしてアッラーが人間に命じられたいかなることに関しても、シャイターンは2通りの誘惑の仕方で妨害しようとします。1つはアッラーの命における極端な行き過ぎ、そしてもう1つはそこにおける怠慢です。
● アーダムの子らに対するシャイターンの敵愾心:
偉大かつ荘厳なるアッラーはかれの命が課された者たち‐人間とジン‐に対し、3つの基本的な恩恵をお恵みになりました。それらは:①理性、②宗教、③選択の自由です。そしてイブリース[1]こそはこれらの恩恵を、その主への反逆において悪用した最初の者だったのです。しかも彼はそこにおいて固執しました。そして彼はアーダムの子らを地獄の道連れとすべく、復活の日まで彼らを悪へと誘惑し、罪を飾り立てて欺かせるという最悪の形でそれらの恩恵を利用するお許しを請願したのです。
1-至高のアッラーはこう仰られました:-実にシャイターンはあなた方にとっての敵である。ゆえに(アッラーへの服従行為をもって)彼らを敵とするのだ。実に彼はその徒党を地獄の業火の住民とすべく、手招きしている。,(クルアーン35:6)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-実にシャイターンは、人間にとっての明らかなる敵である。,(クルアーン12:5)
3-ジャービル・ブン・アブドッラー(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言うのを聞きました:“イブリースの玉座は海の上にあり、彼はそこから遠征団を出征させ、人々を試練にかけている。そして彼らの内で最も偉大であると目される者は、最も人間を試練にかける者なのである。”」(ムスリムの伝承[2])
● シャイターンの敵愾心の表れ:
シャイターンの人間に対する敵愾心の形と種類は様々ですが、例えば次に挙げるようなものがあります:
・ アーダムの子らを誘惑し、悪や罪を美しく飾り立てて見せ、そして(彼らがその罠にかかったら、彼らの行動に関する責任からの)自らの潔白を訴えること。
・ アーダムの子らの諸々の行いにおいて、その囁きでもって惑わせること。
・ アーダムの子らを迷わせ、嘘偽りの約束をし、根拠もなく努力も伴わない希望的観測をさせ、彼らの間に悪を誘発させること。
・ 彼らをアッラーへの反逆行為や、非合法な物事へと導くこと。
・ アーダムの子らの善行の前に立ちはだかり、それらを妨害し、諦めさせ、そこに障害をしつらえ、彼らを恐怖に陥れること。
・ 彼らを扇動し、互いの敵対心や憎悪をかき立てること。
・ 彼らの間に嫉妬や怨恨を催させること。
・ 様々な悪や疾患などで彼らを害し、許す限りの全てのものを用いてアッラーの道から遠ざけようとすること。
・ 朝遅くまで眠り込むよう、しもべの耳の中にその尿を垂らすこと。そしてその頭に結び目をくくりつけ、それでもって目覚めを妨害すること。
こうしてシャイターンの言う事を聞き、従う者は、彼らの徒党となります。そして審判の日には彼と共に召集されるのです。一方主に従い、シャイターンと袂を分かつ者は、彼に対してのアッラーからの守護を授かり、天国に入ることでしょう。
1-至高のアッラーはこう仰られました:-彼らはシャイターンにとらわれ、それでアッラーのズィクル(念唱)を忘れさせられたのである。彼らこそはシャイターンの徒党。シャイターンの徒党こそは損失者ではないのか?,(クルアーン58:19)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-(アッラーは)仰った:「(イブリースよ、)行くのだ。そして彼らの内、お前に従った者たちも。地獄の業火こそがあなた方への万全なる報いである。そしてお前の声でもって、彼らの内お前に許された者たちを(悪へと)扇動し、お前の騎兵と歩兵でもってあらゆる策謀を尽くすのだ。そして(非合法な)財や子孫(を作ること)において彼らに力を貸し、(復活などはないという嘘の)約束をするのだ。」実にシャイターンの約束することは虚妄以外の何ものでもない。「しかしお前はわれら(アッラーのこと)の(信仰者の)しもべたちに対しては、何の権威も有さない。」そしてあなたの主は、(全ての物事を)委ねるのに十分なお方なのである。,(クルアーン17:63-65)
3-サブラ・ブン・アビー・ファーキフ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“シャイターンは、様々な道でアーダムの子らを待ち伏せしている。例えば、彼はイスラームの道において人間を待ち伏せする。そしてこう言うのだ:「一体お前はイスラームに改宗し、お前の、そしてお前の父や祖父の宗教を捨てるというのか?」しかし彼はその誘いを蹴り、イスラームに改宗する。
それから(シャイターンは)ヒジュラ[3]の道において人間を待ち伏せする。そしてこう言うのだ:「一体お前はヒジュラをし、お前の土地と空を捨てるというのか?ヒジュラする者とは、まるでつながれた馬のようなものなのだぞ。」しかし彼はその誘いを蹴り、ヒジュラをする。
それから(シャイターンは)ジハードの道において人間を待ち伏せする。そしてこう言うのだ:「一体お前は、生命と財を投げ打つジハードなどをするというのか?お前は戦い、殺され、そしてお前の妻は奪われ、財はふんどられてしまうのだぞ。」しかし彼はその誘いを蹴り、ジハードをする。”
そしてアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“これらのことをする者たちは、偉大かつ荘厳なるアッラーによって天国に入れられる権利を有するであろう・・・”」(アフマドとアン=ナサーイーの伝承[4])
● シャイターンの道:
人間の歩く道というのは左右前後の4方向ですが、シャイターンはこれら全ての方向に待ち構えています。
またしもべが服従行為の道を行けば、そこにもやはりシャイターンがおり、彼はどうにかしてそれを諦めさせ、その歩みを遅らせ、妨害しようとします。
そしてもし反逆行為の道を行くならば、シャイターンは彼を押し、彼に奉仕し、援助し、その行いを美しく飾り立てるでしょう。
至高のアッラーはこう仰られました:-(イブリースは)言った:「あなたが私を惑わされたように、私も必ずや彼らを(そそのかして)正しい道から逸らせましょう。そして彼らの前後左右から襲い掛かりましょう。あなたは彼らの多くが、(あなたに対して)感謝深い者ではないことをご覧になるはずです。」,(クルアーン7:16-17)
● シャイターンの入り口:
シャイターンが人間の所にやって来る入り口には、3種類あります:①欲望、②憤怒、そして③倒錯です。欲望は動物的な性質のものであり、人間はそれによって自らに不正を働きます。貪欲さや吝嗇などは、これを原因としています。
また憤怒は猛獣的な性質のものであり、欲望よりも大きな害をもたらします。人は怒りによって自らと他人に不正を働くのであり、自惚れや高慢さなどはこれは原因としています。
一方倒錯はシャイターン的な性質のものであり、憤怒よりも大きな害をもたらします。人は倒錯によって、シルク[5]や不信仰などにおいてその創造主に対する不正を働きます。不信仰や宗教改変などはこれを原因としています。
そして被造物の罪の大半は、動物的なものです。というのも多くの者はそれ以上の段階に達する能力を持ち合わせていないからであり、この入り口を経由して他の範疇に入って行くのです。
● シャイターンの策略:
全世界の全ての悪の原因はシャイターンですが、その悪は7つの策略に要約されます。アーダムの子らは常にその内のどれか、あるいは全てに足を踏み入れているものです。
1-まずシャイターンがしもべから望む最大の悪は、不信仰とシルクの悪、及びアッラーとその使徒に対する反感です。
2-そしてその目的を達成出来なければ、シャイターンはそれに次ぐ悪である宗教改変へといざないます。
3-そしてそれが出来なければ、様々な大罪[6]に移ります。
4-そしてその次は小罪[7]です。
5-そして以上のことさえ叶わなければ、罪でもない代わりに報奨もないような合法的な物事にしもべを没頭させ、服従行為や義務行為においておろそかにさせようとします。
6-そしてそれも叶わなければ、しもべを報奨の優る行為から遠ざけ、より報奨の少ない行為に勤しめようとします。例えるならば、任意の崇拝行為に勤しませ、肝心の義務的崇拝行為をおろそかにさせたりすることです。
7-そして以上全てにおいて失敗すれば、人間とジンからなる彼の徒党をもって、様々な手段を用いてしもべの邪魔や妨害を試みます。このように信仰者はアッラーにお目にかかるその日まで、ジハード(努力奮闘すること)の中にあるのです。アッラーにそのご援助と私たちの堅固さを願いましょう。
● しもべをシャイターンから守るもの:
しもべは、聖クルアーンの言葉と預言者の正しい伝承の中で確証されたものの中にあるドゥアー(祈願)やズィクル(念唱)でもって、自らをシャイターンから守り、かつその悪から身を防ぐことが出来ます。それらには‐アッラーのお許しと共に‐癒しと慈悲、正しい導きと現世と来世におけるあらゆる悪からの守護があるのです。それらの主なものを挙げて行きましょう:
第1の守護:この上なく偉大なるアッラーに、ご加護を乞うこと。偉大かつ荘厳なるアッラーはその使徒に、あらゆることにおいてシャイターンに対するかれのご加護を乞うことをご命じになりました。またクルアーンの読誦や怒り、誘惑、悪夢を見た際などにそうすることを特に明確にご命じになりました。
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてもしシャイターンからの悪の囁きによってそそのかされた時には、アッラーにご加護を乞うのだ。実にかれこそは全てをお聞きになり、ご存知になられるお方である。,(クルアーン41:36)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてクルアーンを読む時には、呪われたシャイターンからのアッラーのご加護を乞うのだ。信仰し、その主にタワックル(身を完全に委ねること)する者たちに対し、彼(シャイターン)は何の権能も持ち合わせてはいないのだ。,(クルアーン16:98-99)
第2の守護:アッラーの御名を唱えること。アッラーの御名を唱えることはシャイターンから身を守ることであり、また彼らが人間と飲食や性交、家の入室の際などあらゆる状況において同伴しようとするのを防いでくれます。
1-ジャービル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言うのを聞きました:“人が自分の家に入る折や食事の際にアッラーの御名を唱えれば、シャイターンは(その仲間たちに向かって)こう言う:「ここにはあなた方の寝泊り出来る場所もなければ、夕食もない。」そしてもし家に入った時にアッラーの御名を唱えなければ、シャイターンは(その仲間たちに向かって)こう言う:「ねぐらにありついたぞ。」そして食事の際にアッラーの御名を唱えなければ、シャイターンは(その仲間たちに向かって)こう言う:「ねぐらと食事にありついたぞ。」”」(ムスリムの伝承[8])
2-イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“(性交渉のために)妻のもとに赴く際に、「アッラーの御名において。アッラーよ、私たちからシャイターンを遠ざけて下さい。そしてあなたが私たちにお授け下さるものから、シャイターンを遠ざけて下さい」と言う者は、もしその時彼らの間に子供が授けられることになっていたのなら、シャイターンはその子を害することがないであろう。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[9])
第3の守護:寝る前や各礼拝後、病気の際などにアル=ムアウウィザターン[10]を読むこと。
ウクバ・ブン・アーミル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私がアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)と共にアル=ジュフファ[11]とアル=アブワーゥ[12]の間を移動している時、強風と暗闇が私たちを襲いました。それでアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は:-私は黎明の主にご加護を願う,と、-私は人間の主にご加護を願う,でもって、アッラーのご加護を乞いました。そして言いました:“ウクバよ、その2章でもってご加護を乞うのだ。それ以上のご加護の乞い方はないのであるから。”また私は、彼が礼拝を率いる時にその2章を読むのを聞きました。」(アブー・ダーウードとアフマドの伝承[13])
第4の守護:アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は私に、ラマダーン月のザカー(浄財)の保管を委任しました。するとある者がやって来てその(保管中の)食料から盗もうとしたので、私はその者を捕まえて言いました:“お前をアッラーの使徒のもとにしょっぴいてやる。”‐中略‐すると(その者は)言いました:“就寝する際に、アーヤト・アル=クルシー(クルアーン2:255)を読め。そうすればお前に、アッラーの御許からのご加護があるだろう。そしてお前が起床するまで、シャイターン(悪魔)はお前に近付けないだろう。”すると(この話を聞いた預言者は)言いました:“そいつは大嘘つきだが、(そのことに関して言えば)真実を語った。そいつはシャイターンだったのだ。”」(アル=ブハーリーの伝承[14])
第5の守護:クルアーン雌牛章の最後の2節を読むこと。
アブー・マスウード・アル=アンサーリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“夜に雌牛章の最後のこの2節を読んだ者は、(あらゆる悪から守られるのに)それで十分なのである。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[15])
第6の守護:雌牛章を読むこと。
1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「あなた方の家を墓のようにするのではない。シャイターンは雌牛章の読まれる家から、退散するのだ。」(ムスリムの伝承[16])
第7の守護:クルアーンの読誦やタスビーフ[17]、タハミード[18]、タクビール[19]やタハリール[20]などを通して、至高のアッラーを沢山ズィクルすること。
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「1日100回“いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはなし。そしてかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方である”と唱える者は、10人の奴隷を解放したのと同様のもの(報奨)が与えられ、100の善行が記録され、かつ100の悪行が抹消され、そしてその日の夜を迎えるまでシャイターンから守られる。また(審判の日、)彼ほど素晴らしいものを携えてやって来る者はいないのである.但し、彼より多くそれを唱えた者は別だが。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[21])
第8の守護:家を出る時のドゥアー(祈願):
アナス・ブン・マーリク(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「家から出る時に、“アッラーの御名において、私はアッラーにこの身を委ねます。そしてアッラーの他に諸事を司り事象を変転させる、いかなる威力もなし。”と言えば、その時その者は(天使から)こう言われる:“あなたは正しく導かれました。そして心配することもなく、ご加護を受けました。”そしてシャイターンたちは彼から遠ざかり、互いにこう言う:“正しく導かれ、心配する必要もなく、ご加護を受けた者をどうやって迷わせられるというのか?”」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[22])
第9の守護:どこかに泊まる時のドゥアー:
ハウラ・ビント・ハキーム・アッ=スラミーヤ(彼女にアッラーのご満悦あれ)によれば、彼女はアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこのように言うのを聞きました:「(旅先で)どこかに一時寄留する者で、“アッラーの完全無欠なる御言葉に、かれの創造された悪からの庇護を乞います。”という者は、その場から(再び)旅立つ時まで、何も彼を害することはないであろう。」(ムスリムの伝承[23])
第10の守護:あくびを抑え、口に手を当てること:
1-アブー・サイード・アル=フドゥリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“あくびする時は、手で口を押さえよ。シャイターンが(そこから)入ってくるのだから。”」(ムスリムの伝承[24])
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「あくびはシャイターン(悪魔)からのものである。ゆえにあくびをしたい時は、出来るだけ抑えるようにせよ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[25])
第11の守護:アザーン(礼拝の呼びかけ)[26]。
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「サラー(礼拝)の呼びかけ(アザーン)がされると、シャイターンを背を向け退散し、それが聞こえないように大きく放屁する。そしてアザーンが終わるとまた戻って来るが、サラーの開始の呼びかけ(イカーマ)が行われるとまた退散する。そしてイカーマが終わると再び戻って来て人の心に囁きかけ、(サラーを始める前までは)彼の脳裏になかったものを思い出させようとして、こう言う:“これを思い出せ、あれを思い出せ。”こうして人は、何ラクア礼拝したか分からなくなってしまうのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[27])
第12の守護:モスクに入る時のドゥアー。
ハイワは、ウクバに言いました:「あなたがアブドッラー・ブン・アムル(彼らにアッラーのご満悦あれ)から、そして彼が預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝えるところによれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はモスクに入る時、こう言ったそうですね:“私は偉大なるアッラーに、その尊い御顔に、そして原初よりのかれの権威において、呪われたシャイターンからのご加護を与えて下さるよう求めます。”するとウクバは言いました:“(あなたの耳に入ったのは)それだけですか?”私(ハイワ)は言いました:“はい。”(ウクバは)言いました:“(預言者は更に続けてこう言ったのです:)そのように言えば、シャイターンはこう言うのだ:「(そう言った者は)残りの1日を、私から守られるであろう。」”」(アブー・ダーウードの伝承[28])
第13の守護:モスクから出る時のドゥアー。
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「モスクに入ったら、預言者に平安を祈れ。そしてこう言うのだ:“アッラーよ、私にあなたのご慈悲の扉を開け放って下さい。”そしてモスクから出る時も預言者に平安を祈り、こう言うのだ:“アッラーよ、私を呪われたシャイターンからお守り下さい。”」(イブン・マージャの伝承[29])
第14の守護:ウドゥー[30]とサラー(礼拝)。特に怒りや強い欲望を感じた時にそうすることが効果的です。ウドゥーとサラーほど、しもべの怒りや欲望の炎を鎮めてくれるものはありません。
第15の守護:至高のアッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に服従し、考え過ぎや過度のお喋り、過食や余計な付き合いを避けること。
第16の守護:(魂のある生き物をかたどった)彫刻や絵画、偶像、犬、鐘などを家から一掃すること。
1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“天使は、(魂のある生き物をかたどった)彫刻や絵画のある家には入らない。”」(ムスリムの伝承[31])
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「天使[32]は、犬や鐘を同伴する旅行者には同行しない。」(ムスリムの伝承[33])
第17の守護:以下のような、ジンやシャイターンの住処となるような場所を避けること:廃墟。排便する場所。ゴミ捨て場。汚い場所。人気のない、遠く離れた砂漠や海岸。ラクダ小屋など・・・。
[1] 訳者注:イブリースは元来はジンであったものの、アッラーが全ての天使たちにアーダム(アダム)の前でサジダ(伏礼)するように命じられた際、高慢になって従いませんでした。それで彼は審判の日まで人間とジンをアッラーの正しい教えから惑わせて迷妄の道へと誘い込み、地獄の道連れにしようと企む悪魔となったのです。
[2] サヒーフ・ムスリム(2813)。
[3] 訳者注:「ヒジュラ」の元々の意味は何かを避けることを意味するが、ここではマッカからマディーナへの宗教迫害を回避しての移住、いわゆる「聖遷」のこと。
[4] 真正な伝承。スナン・アン=ナサーイー(3134)、サヒーフ・スナン・アン=ナサーイー(2937)、ムスナド・アフマド(16054)。文章はアン=ナサーイーのもの。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(2979)参照。
[5] 訳者注:「タウヒードとイーマーン」の章のシルクの項を参照のこと。
[6] 訳者注:「大罪(カビーラ)」とは、それに対し現世において刑罰が適用されたり、あるいはそれを犯すことで来世において地獄を警告されていたり、またアッラーのご慈悲からの放逐やかれのお怒りを招くこととされているものです。例としてはシルクや殺人、ズィナー(姦淫)や魔法、リバー(不法商取引)、親不孝、嘘の誓いなどがあります。
[7] 訳者注:「小罪(サギーラ)」とは、大罪にまでは達しない罪のこと。
[8] サヒーフ・ムスリム(2018)。
[9] サヒーフ・アル=ブハーリー(7396)、サヒーフ・ムスリム(1434)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[10] 訳者注:クルアーンの最後の2章のこと。
[11] 訳者注:「アル=ジュフファ」はマディーナの南西方向にある、紅海沿岸付近の町のことです。当時ユダヤ教徒が住んでいたと言われています。
[12] 訳者注:「アル=アブワーゥ」はマッカとマディーナの間にある山の名です。
[13] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(1463)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(1299)、ムスナド・アフマド(17483)。文章はアブー・ダーウードのもの。
[14] サヒーフ・アル=ブハーリー(5010)。アル=ブハーリーはこの伝承をムアッラク(伝承経路の末端に1人、あるいはそれ以上の伝承者の欠落が見られるもの)としていますが、アン=ナサーイー他はこれを十全かつ真正な伝承経路をもって伝えています。アル=アルバーニーの「サヒーフ・アル=ブハーリー簡略版」を参照のこと。
[15] サヒーフ・アル=ブハーリー(5009)、サヒーフ・ムスリム(808)。文章はムスリムのもの。
[16] サヒーフ・ムスリム(780)。
[17] 訳者注:アッラーの完全無欠性、全ての物事から超越する崇高さを讃えること。「スブハーナッラー」という言葉による唱念に代表されます。
[18] 訳者注:アッラーにこそ全ての賛美があると唱念すること。「アル=ハムドリッラー」という言葉に代表されます。
[19] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉に代表されます。
[20] 訳者注:アッラーこそが唯一の主であり、真に崇拝すべき対象であることを唱念するための言葉。「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉に代表されます。
[21] サヒーフ・アル=ブハーリー(6403)、サヒーフ・ムスリム(2691)。文章はムスリムのもの。
[22] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(5095)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(4249)、スナン・アッ=ティルミズィー(3426)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2724)。文章はアブー・ダーウードのもの。
[23] サヒーフ・ムスリム(2708)。
[24] サヒーフ・ムスリム(2995)。
[25] サヒーフ・アル=ブハーリー(3289)、サヒーフ・ムスリム(2994)。文章はムスリムのもの。
[26] 訳者注:礼拝を呼びかける一連の文句のこと。「アッラーフ アクバル(2回)、アッラーフ アクバル(2回)、アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラッラー(2回)、 アシュハドゥ アンナ ムハンマダッラスールッラー(2回)、ハイヤー アラッサラー(2回)、ハイヤー アラルファラーハ(2回)、アッラーフ アクバル(2回)、ラー イラーハ イッラッラー。」
[27] サヒーフ・アル=ブハーリー(608)、サヒーフ・ムスリム(389)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[28] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(466)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(441)。
[29] 真正な伝承。スナン・イブン・マージャ(773)、サヒーフ・スナン・イブン・マージャ(627)。
[30] 訳者注:イスラームにおいて定められたある一定の形式における、心身の清浄化を意図した体の各部位の洗浄。
[31] サヒーフ・ムスリム(2112)。
[32] 訳者注:しもべの罪の赦しや、アッラーのご慈悲を乞う天使たちのこと。
[33] サヒーフ・ムスリム(2113)。