他宗教に対するイスラームの寛容性を顕著に示すサヒーファに加え、預言者(神の慈悲と祝福あれ)の生前には他にも数多くの例があります。
憲法による許可から、ユダヤ教徒たちは宗教の実践において完全に自由を持っていました。預言者の時代のマディーナのユダヤ教徒たちは、バイトル=ミドラースという独自の学校を持っており、そこでトーラーを唱えたり、崇拝や教育を行っていました。
預言者は使者に託した多くの手紙の中で、宗教施設に危害が加えられることはないと強調しています。ムスリムによる庇護を求めたシナイ山・聖カタリナ修道院の宗教指導者たちに宛てられた手紙では、このように述べられています。
“こ れは、キリスト教に従う者たちへの誓約として、ムハンマド・ブン・アブドッラーが送る伝達である。我々はどこにあろうと、彼らと共にある。実に私、しもべ たち、救援者たち、そして私の追従者たちは彼らを擁護する。なぜなら彼らは私の市民であるからだ。神にかけて、彼らにとって不満な物事を、私は差し控え る。彼らは何も強制されない。彼らの裁判官はその職務に留まり、彼らの修道士はその修道院に留まるのである。彼らの宗教の家を破壊したり、傷つけたり、そ こからムスリム側に何かが運び出されることは一切ない。これらの内いずれでも行った者は、神の誓約を破り、その使徒に背いたのである。実に、彼らは私の同 盟者であり、彼らの憎悪するあらゆることから私による安全を確保されているのだ。誰一人として、彼らに旅を強いたり、戦いを義務付けることは出来ない。ム スリムたちが彼らのために戦わなければならないのだ。もし女性キリスト教徒がムスリムと結婚する場合、彼女の承諾なしにはそれは成立しない。彼女が教会へ と礼拝に訪れることが妨げられることはない。彼らの教会は保護されることが宣言されている。彼らが教会を修復することも、誓約の不可侵さが妨げられること もない。(ムスリム)国家の誰一人として、(この世の)最後の日までこの誓約に背くことはない。”1
ここからも分かるように、複数の条項からなるこ の誓約には、人権のあらゆる重要な分野が包括されています。それにはイスラーム国家に住む少数派の保護、崇拝と移動の自由、自らの裁判官の任命の自由、自 由な資産の保有・維持、兵役義務の免除、戦時下において保護を受ける権利などが含まれています。
これとは別に、預言者は当時イエメンの一部だったナジラーン地方から60人のキリスト教徒の代表団を彼のモスクに受け入れています。彼らの礼拝時間が来ると、彼らは東方を向いて祈り始めましたが、預言者は彼らをそっとしておき、彼らに危害を加えることのないよう命じました。
預言者の人生においては、彼が他宗教の人々と政治的にも協力した例があります。彼は非ムスリムであったアムル・ブン・ウマイヤ・アッ=ダムリーをエチオピアの王ネグスに大使として派遣しています。
これらは、預言者による他宗教への寛容さにおけ る例のほんの一部です。イスラームは世界における宗教の多様性を認識しており、各人が真理であると信じる道を選択する権利を与えています。宗教は人の自由 意志に反して強制されるものではありませんし、そうであったこともありません。そして預言者の人生における上記の例の数々は、宗教的寛容性を推奨し、ムス リムにとっての他宗教の人々との交流の指針を定めたクルアーンの章句の要約でもあるのです。神はこう仰せられています。
“宗教に強制はない。”(クルアーン2:256)
1“Muslim and Non-Muslims, Face-to-Face”, Ahmad Sakr. Foundation for Islamic Knowledge, Lombard IL.