私の両手は震えが止まらなくなり、顔には汗がにじみ出ました。私の全身はぞくぞくし、自分でもその感 覚に驚きました。私は道端やテレビ、友人宅などで聖クルアーンを聞いたことがありましたが、そうした感覚は初めてでした。そのまま読み続けたいと思いまし たが、夫が扉の鍵を開ける音が聞こえたので手を止め、素早く聖クルアーンを隠し、急いで夫を出迎えました。翌日、私は頭の中に膨大な疑問を抱えつつ出勤し ました。私が読んだ章句は、イエス(彼に平安あれ)の誤った性質についての疑念を払拭させました。彼は、牧師たちが語るように、神の子なのでしょう か?――彼らが同位者とするもののすべてを超越する(至高なる)神に栄光あれ!――この章句はイエス(彼に平安あれ)が人間であると宣言し、もやを晴らします。それゆえ、彼は神の子ではないのです。全能なる神はこう述べます。
“かれは御産みなさらないし、御産れになられたのではない、かれに比べ得る、何ものもない。”(クルアーン112:3−4)
私 は唯一なる真実の神以外に崇拝に値する神はなく、ムハンマドが神の使徒であるという永遠なる真理を知って以来、現状からの出口を模索し始めました。私はイ スラーム改宗の事実を公言出来るだろうか? 私の親戚や夫の反応はどういったものになるだろうか? さらに、子供たちの将来はどうなるのだろうか? これ らの疑問は私の心を奪い、仕事が殆ど手につきませんでした。おそらく第一歩を踏み出すことによって、私は親戚や夫、教会から殺害されるといったような大き な危険に晒されることになるでしょう。
数週間に渡り、私は人から距離を置いて過ごしました。 私の同僚たちは、私を活発な人物として見ていました。私は聖クルアーンを開いた日から、殆ど仕事が手付かずになっていました。やがて、待ち望んでいた日が 来ました。その日、私はあらゆる疑念や恐怖を振り払い、不信仰の闇から信仰の光の中へと抜けだしたのです。その日、決意したことに思いを巡らせながら、仕 事中に席についていた私は、ムスリムがズフルの礼拝をし、主にまみえることを呼びかけるアザーンの声を聞きました。呼びかけ人の声は私の魂に完全に染み込 みました。私は探し求めていた精神的な開放を感じました。その瞬間、私は自分の中のイーマーン(信仰心)を無視し続けた自分の不信仰の罪の重大さを認識し ました。それゆえ、私は躊躇することなく立ち上がってこう宣言したのです。「私は、唯一なる真実の神以外に崇拝に値する神はなく、ムハンマドが神の使徒で あると宣言します」
完全に仰天した同僚たちは、頬に嬉し涙を流しながら私に駆けつけ、祝福し てくれました。私もわっと泣き出し、神が私を赦し、私にご満悦してくれるよう嘆願していました。この知らせは官庁事務所の隅々にまで行き届きました。キリ スト教徒の同僚たちがそのことを知ったとき、彼らはわざわざ私の家族と夫にそのことを密告しました。彼らはまた、私の改宗の直接の理由についての噂話を流 し始めました。私はこのことは気にしていませんでした。私にとって最も重要なことは、イスラームの改宗について公言することだったのです。私は(エジプト 人がイスラームに改宗する際に義務付けられるように)警察本部へ行き、この件について公式な手続きをしました。帰宅すると、私は夫がその知らせについて知 るやいなや、親戚を集め、私の衣服をすべて燃やし、私の所有していた金銭、ジュエリー、家財道具のすべてを差し押さえていたことを知りました。そのことは 私を傷つけました。しかし、私をもっと傷つけたのは、彼が子供たちを連れ去ったことでした。彼はそうすることにより、私を不信仰の闇に連れ戻したかったの です。私は子供たちについて非常に悲しみ、彼らが三位一体を信じながら教会に通って育つことにより、その父親と共に地獄に落ちてしまうことを怖れました。
私 は子供たちをイスラーム的に育てることが出来るように、彼らを取り戻してくれるよう神に嘆願しました。神はそれに答えてくれました。あるムスリム男性が、 子供たちの保護監督権を訴える方法を教えてくれたのです。私は法廷へ行き、裁判官の前でこの件を提訴し、自身のイスラーム改宗証明書を提示しました。法廷 は真実を支持してくれました。裁判官は夫を召喚し、2つ の選択肢を与えました。それは、イスラームに改宗するか、婚姻関係を解消させるかのどちらかです。イスラーム法においては、ムスリム女性が非ムスリム男性 と結婚することは許可されていないのです。夫は傲慢にも真の宗教への改宗を拒否しました。その結果、裁判官は私たちの婚姻関係の解消を命じ、私に子供たち の親権を与えてくれました。子供が分別年齢に達しない場合、法はムスリムの親に保護者としての権利を与えます。
私 は、これで問題が解決したと思いました。しかし、前夫と親族からの冷遇に私は悩まされていました。彼らは私の自信を壊し、名誉を傷つけるために噂を流しま した。また彼らは他のムスリム家族が私を助けたり会話したりしないよう説得しようとしていました。そうしたやっかいな状況にも関わらず、私は真の宗教のた めに強くあるよう心がけ、信仰を固く守り、あらゆる試練を乗り越えました。私は両手を掲げ、困難に直面した際の助力を授けてくれるよう、そして人生を容易 にしてくれるよう天地の創造主である神に祈りました。最も近く、最も寛大である神はそれに答えてくれました。4人の娘、1人の息子を持つあるムスリムの未亡人が私に同情してくれ、私の勇気を称賛してくれました。彼女は貧しかったにもかかわらず、素晴らしい性格を持ち、一人息子で、妻を亡くしていたムハンマドを私に紹介してくれました。
現 在、私はムスリムの夫、彼の家族、そして子供たちと幸せに暮らしています。私たちの生活は苦しいものの、人生に満足しており幸福です。前夫の憎悪、キリス ト教徒の家族らによる敵意も、私がそうされたのと同じように、彼らが正しい宗教に導かれ、彼らに慈悲深くあるよう全能なる神に常に祈らずにはいられませ ん。
神にとって、それは決して難しいことなどではないのです。