一人の男性が私のもとに歩み寄り、聞きなれない言葉を発し始めました。後日になり分かったのですが、彼は「マーシャーアッラー、マーシャーアッラー」と言いながら私の腕から娘を抱え上げ、「なんて可愛い子だろう」と言いつつ他の男性たちに彼女を見せて回りました。
あ かの他人が私から娘を取り上げたにも関わらず、なぜか私は全く恐怖を感じませんでした。彼は手際よく娘をデスクの上に座らせてペンや鉛筆、ホッチキスなど で彼女を喜ばせ、子供の扱いに慣れた様子でした。他の男性たちも彼女の周りに集まっていると、アブドルハミードが現れて私に挨拶しました。
私 は握手をしようと手を差し出しましたが、彼はそれを見ないふりしてやり過ごしました。男女間のイスラーム的エチケットについては、その当時まだ全く知りま せんでした。彼は私がどのようにイスラームと出会ったのか尋ねました。私は彼にナイジェリア人のアフマドのことを言うと、彼はイスラームの基本について説 明し始めました。
およそ一時間が過ぎた頃、彼は私にクルアーン写本を手渡し、それを読む際にはシャワーを浴びるよう言いました。私は即座に合意しました。彼はもうすぐ礼拝の時間が来るため、準備しなければならないと言いました。
私は彼に感謝の意を表しましたが、最後に一つだけリクエストがありました。礼拝の見学です。無神論者と結婚していた私は、なぜかその男性が祈る姿を見てみたいと思いました。私は常々、神に祈りすら捧げない男性は真の男性ではないと思っていました。
ア ブドルハミードは礼拝を見学しても構わないものの、物音は立てないでくれと私に頼みました。合意して一緒に階段を降りると、豪華な美しい絨毯、そしてくぼ みのある壁以外には何もない部屋に入り、彼はその後ろで私を待たせました。その壁のくぼみは、礼拝の方角を示すものであることを後に知りました。
男 性たちが部屋に入ってくるのを見ていると、突然響き渡った大きな音に驚きました。それは「アッラーフ・アクバル、アッラーフ・アクバル」という礼拝への呼 びかけでした。それには氷水が血管の中を走り渡るような感覚を受けました。私の存在そのものが、その壮大な呼びかけによって覚醒したかのようでした。
それは一言も理解できませんでしたが、まるで私に語りかけているような感じがしました。私の目には涙が溢れ、身体はぶるぶると震えました。私は落ち着こうと、両腕を組んで自分自身を抱擁していました。
男性たちが礼拝中にお辞儀をし、額づいたのを見たとき、自分があの晴れた日に寝室で行った祈りが重なり、涙がこぼれ落ちました。私は畏怖の念で一杯でした。言葉では言い表せないほど感動しました。そして自分は居るべき場所に居るのだと実感し嬉しく思いました。
その後数週間で私は多くのムスリムたちと出会い、イスラームについて多くを学び始めました。私は寝室での礼拝の時だけ着用していたものの、イスラーム的衣服を自分で編み始めました。
私 は変わり始めました。飲酒を絶ち、豚肉も拒否しました。性格も一変しました。私は静かで穏やかになりました。心に平穏が訪れたのです。母は私の変化につい て尋ねました。彼女は私が鬱になったと思い込んでいました。「どうしてあなたは笑わなくなってしまったの?」と彼女は言いました。私はとても幸福であるこ とを彼女に説明しました。ただ、それはより穏やかな形だったのです。
私は勇気を奮い起こし、ついにイスラームについて打ち明けました。私が彼女のために編んだ衣服も見せました。彼女は激怒しました。私が編んだ服も全く気に入ってはくれませんでした。
母はファッションに気を使う女性でした。彼女は私が編んだ服のシンプルさやそのゆったりしたサイズを嘲笑しました。彼女はそれが袋に見えたと言いました。その無神経な発言には傷つきましたが、私のイスラームに対する想いを変えることはありませんでした。
私がシャハーダをする前の最後のクリスマスは悪夢のようでした。その当時でさえ、私はそれが虚偽の信仰という暗闇から私を救い出すためのアッラーのやり方であることは分かってはいました。それでも、それはとても困難な日々でした。
母は私が祝日行事に参加しないことを怒っており、いつものように泥酔状態の弟は、癇癪を起こして私の所有物のいくつかを破壊し、私を殺すとさえ脅しました。
彼はそれ以前に、私の部屋に入った時に私がイスラーム的な服装をしているのを目撃していました。彼は宗教的ではなく、教会に行くこともなかったものの、私がムスリムになろうとしていたことについては激怒していました。
彼らが怒れば怒るほど、私は自分が正しいことをしていることに確信を持つようになりました。私はただ単に、彼らが生きるような人生を歩みたくはありませんでした。
その数カ月後、私は信仰宣言をして改宗をしました。翌春のある金曜日、私はムスリムになりました。イスラームという贈り物を、感謝しつつ謙虚に受け入れたのです。
母は私が家を出ることを強要しました。しかし、アッラーはその際限なき慈悲から私に新たな家を用意されました。私がシャハーダをした同じ夜、その証人だったエジプト人男性が私に結婚を申し込んだのです。
初めてモスクを訪れたあの時、私の腕から娘を抱え上げた私のワリー(保護者)は、私の意思確認をしました。私のたった一つの心配は、彼が良き信仰者であるかどうかでした。ワリーは、彼がそうであることを確認してくれました。
10日も経たずして私たちは結婚し、娘と共に夫と新居に暮らし始めました。彼は娘を我が子のように育ててくれ、アルハムドゥリッラー、その後私たちは2人の男児を授かりました。
もうかれこれ26年が過ぎましたが、私のムスリムとしての人生は祝福に満ちたものでした。時が経つのは本当に早いものです。それらの年月は決して容易なものではありませんでしたが、祝福に満ち溢れたものでした。
アッラーによって寵愛される者たちは試練を受けます。アッラーはクルアーンにおいて「困難と共に安楽はあり」と述べていますが、それが真実であることが証明されました。
長年に渡って私との関係を断絶していた母は、現在私と共にムスリムの国に住んでおり、自発的にヒジャーブを着ています。私は彼女が近い将来、イスラームを受け入れるのではないかと期待しています。インシャーアッラー(それがアッラーの御意であれば)。
常々困難は付きまとうものの、これ以外の生き方に変えることはもう想像すらできません。私を暗闇の中からイスラームという光の中へと奇跡的な旅をさせてくれたアッラーのご慈悲とお導きを日々感謝しています。