1- 人は全ての時間と条件の中に置いて、創造主と奴隷という関係を前提に、アッラーを常に覚えている事は、彼への服従の基礎です。アーイシャ(アッラーが彼女に悦んで下さいますように)はこう言ったと報告されています。:「アッラーの預言者(彼に平安あれ)はどんな時もアッラーを覚えていました。」(ムスリムの伝承)
2- 偽善者の属性として、彼らはアッラーを少ししか覚えていないとあるので、アッラーを常に覚えている事は、信者と偽善者の間を区別するものです。
3- アッラーを常に覚えていることは、シャイターン(悪魔)の犯行に対して人を保護し、免疫の砦であるとして、アッラーを覚えている事を見下す者を除いて、シャイターンを人を事前に支配する事はありません。
4- 唄念(ズィクル)こそが幸せへの道です。彼(彼に称えあれ)は申されました:「これらの信仰した者たちは,アッラーを唱念し,心の安らぎを得る。アッラーを唱念することにより,心の安らぎが得られないはずがないのである」(雷電章28節)
5- 楽園の人々は現世でアッラーを覚えておらず過ぎ去った一時間を除いては後悔する事はないので、私達は常にアッラーを覚えているべきです。
「本当に永久的な唄念は、アッラーとの永続的な関係を意味します。」
アン ナワウィは言いました:心と舌による唄念は、ウドゥーが亡くなった者、清められていない者、月経中や産後の女性にも許可されています。これは称賛(スブハーヌアッラーという事)、賛美(アルハンドゥリッラーという事)、アッラーフアクバル(アッラーは偉大です)という事、ラーイラーハ イッラッラー(アッラー以外に真に崇拝すべきものはありません)という事、アッラーの使途(彼に平安あれ)への平安と祝福とドゥアーをアッラーに求める事も含まれます。これはクルアーンの読誦の場合とは異なります。
6- 主(栄光ある崇高な御方)を覚えている者を、主は覚えているでしょう。彼は申されました。「だからわれを念じなさい。そうすればわれもあなたがたに就いて考慮するであろう。われに感謝し,恩を忘れてはならない。」(雄牛章152節)王の一人が会議である男を賞賛し、その男は王が彼について言及した事を知らされてとても喜んだとしたら、では全ての王の中の王であるアッラーが、群集に向かって彼に言及したとしたらどのように感じるでしょうか。どちらによって言及されるほうが良いでしょうか?
7- アッラーを唄念するとは、心が集中することなく、アッラーに従う事なく、彼への賛美を見下しながら、言葉や単語をつぶやくことではありません。舌を用いた唄念は、その言葉の意味に影響を受け、論理も連れそっていなければいけません。彼(彼に栄光あれ)は申されました。:「またあなたがは朝夕,魂を込めて謙虚に,恐れ謹んで,言葉は大声でなく,あなたの主を唱念しなさい。おろそかな者の仲間となってはならない。」(高壁章205節)