* それが人間の生得的天性によるものであること。人間は、自分が住んでいる宇宙と同様に、彼ら自身のことも創造した創造主の存在を知り、かつ感じているのです。これは科学者が「宗教的本能」と名付けているものです。アッラー(I)はこう仰っています:
-ゆえにあなたの顔を純正な宗教へと向けるのだ。(それは)人々がそれを元に創造されたところのアッラーの天性[1]。アッラーの創造に改変はない[2]。これこそは正しい宗教である。しかし多くの人々は、知らないのだ。,(クルアーン30:30-31)
また預言者ムハンマドrは、こう言っています:
「全 ての子供は生得的天性のもとに生まれる。しかしその両親が彼(女)をユダヤ教徒やキリスト教徒にしてしまうのである。それはちょうどあなた方の目にする家 畜のようなものだ。あなた方は、家畜が手足を切断されて生まれてきたりするのを見るか?」人々は言いました:「アッラーの使徒よ、夭折してしまった者はど うなりますか?」彼は言いました:「アッラーこそは、その者たちがすることになっていたことをご存知なのである。」(アル=ブハーリーの伝承)
人 間というものはたとえその生得的天性が歪められてしまった後でも、その諸事に作用してくるある種の力や、自分が必要な時に縋り付ける存在を尊ぶ傾向にあり ます。これは古代社会にも観察されたことであり、彼らは偶像を造って崇めていたのです。また崇拝の対象は太陽や月、星であったりもしました。これは人類が 共有する本能なのですが、ある者は驕慢さや頑迷さからそれを拒絶し、またある者はそれを信仰します。そしてこの先天的性質は、緊迫的な状況に置かれた時に 顕著なものとなるのです。たとえば重い病気を患った時、あるいは悪に制圧された時、人は自然にこう呼びかけます:「アッラーよ!」あるいはその問題を解決 してくれる全能の存在を認識しつつ、天を仰ぐでしょう。アッラー(I)はこう仰っています:
-(信仰しない)人は災難に襲われれば、横になっても、座っていても、あるいは立っていても、われら(アッラーのこと)に祈りすがる。しかしわれらがその災難を去らせると、あたかも(以前)彼に降りかかった災難ゆえにわれらに祈りすがらなかったかのように、背き去る。,(クルアーン10:12)